制作の言語の制作 おわりました

3日あけての投稿でもうしわけないです いはらだはるかです
わたしの住まい(上石神井寮)ではインターネットが接続できてないというかなりアナログな出来事が
おきているのでがっこうでしかブログも投稿できていません いいわけです。


さて、さった5日日曜日(←日 て漢字が多いですね)
con-tempoで 制作の言語の制作by雨宮庸介×内海聖史×池田剛介 が開催されました。
美術にいのちをかけてるすてきな三人さんの本気ディスカッション。かなりヒートがアップしていました。
さてさて、ここからはいはらだはるかのかってなおはなしですが
絵画 ってなにものなのでしょうか。
わたしは美術にかんしてまったく無知なあんぽんたんなので、偉いことや気のきいたかっこいいことはいえないのですが、
絵画っていったいなんなんでしょうか。
絵画は現在性の高いメディアだというお話がありましたが、たしかにそうだと思います。
たとえば部屋の中に作品と私が二人っきりでとりのこされてなにかしないとなって思ったときに
インスタレーションとは話ができないけれど、絵画とは話ができる気がします。
でも見る人と絵画は話ができても、作る人と絵画は話ができないとも思います。
制作者と絵画は=ではないという上でですが。



そもそもどうして絵画をかくのでしょうか。
なぜ絵画なのでしょうか。
理由という理由はないにしても、そこがすてきですね。



うまくたとえきれませんが、そんなかんじの感想です。
なんかこんなかんじでもうしわけないです、



con tempoに影響されて、チャットモンチーをツタヤでレンタルしました。
わたしは 生命力 が一番すきです。



あつくなってきました。
たなばたもおわりましたね。
わたしの住んでいた島は星がすごくすごく綺麗なので、ちょっと寂しいたなばたでした。
でも月がでかっくて、(ちょっときもちわるいくらいに!)
夏がきたんだなあっておもいます。



これからは、なにもなくてもブログこうしんします!
なににしましょーか!

ではでは